五つ葉のクローバーの超主観的考察

~恋愛マンガの名作「めぞん一刻」を皮切りにラブコメ漫画の気になった点を超わがままに考察しています!~

劇場アニメ「君の膵臓をたべたい」の感想~大病を患った桜良だからこその想いや言葉に魅入られる作品~

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住野よる双葉社/君の膵臓をたべたい アニメフィルムパートナーズより引用

2018年9月より劇場公開された住野よる氏による青春小説のアニメ化作品。膵臓を患った桜良の日記「共病文庫」をたまたま主人公が見てしまったことで始まった二人の特別な関係を描いています。

社交的な桜良と協調性のない主人公だからこその関係は当然クラスメイトには受け入れられませんが、桜良は主人公の魅力に気付き、憧れ、そして好きになっていきます。一方の主人公も秘密を知ったにしろ自分だけに向けられる桜良の姿と言動、そして行動にどんどん惹かれていきます。

余命の事を考えると桜良も主人公もそれ以上の関係には踏み込めないわけですが、だからこそ二人の関係はそれを超越しひとつひとつの言動に魂が宿ります。最後は思いがけない結末を迎えてしまい少しビックリしましたが、桜良の残した言葉はとても印象深く様々な思いがあったことに気付かされます。

死をテーマにしているので当然重い話だし、無理に明るく振舞う桜良の様子に涙してしまいますが、それ以上に桜良の言葉や主人公の変わっていく様子に救われる感じがして個人的にお気に入りの作品です。

以下、ネタバレ要素を多分に含みますのでご注意ください。

 

【あらすじ】
盲腸手術の抜糸に行った病院の待合席で「僕」が偶然拾った「共病文庫」と名付けられた一冊の文庫本。その本はクラスメイトの山内桜良が綴った秘密の日記帳であり、何気に開いたその本に記されていたのは膵臓の病気により余命はあと数年という文字。その事実を知った「僕」は身内以外で唯一、桜良の病気を知る存在となる。

桜良曰く「仲良し」な存在として「死ぬ前にやりたいこと」に付き合わされる羽目になった「僕」だったが、全く正反対の存在と思える桜良と付き合うことにより徐々に憧れを抱き、心を通わせたい存在と思うようになっていく。

一方の桜良は「僕」をただひとり真実と日常を与えてくれる人として一緒にいることを望むが、「彼女も友人も必要としない」「現実より小説が楽しいと信じてる」と語っていた「僕」が初めて関わり合いを持ちたい人に自分を選んでくれたことに「初めて私自身として必要とされている」と感じ涙する。

4週間の入院治療から解放されたその日、桜良は「僕」との待ち合わせ場所に向かうが、その途中通り魔に刺され余命を全うすることなく亡くなってしまう。

 

【好きな点】
「君の膵臓をたべたい」というかなり強烈なタイトル・・そしてヒロインである山内桜良の葬儀シーンとそれに参列しなかった「僕」のモノローグで始まるので悲しい結末を迎えることを覚悟しながら見ることになります。併せて印象的なのは桜良・・からかうような口調の中で時折、本音が垣間見える彼女の心の動きと言葉の数々がこの映画の見所です。

人と関わらずに読書ばかりしている主人公の「僕」。その「僕」は盲腸手術の抜糸に行った病院の待合席で拾った本「共病文庫」を何気に読んでしまい、その姿を持ち主の桜良に見られるわけですが、それにもかかわらず何も驚かず慰めもしない「僕」・・
そんな「僕」だからなのか興味を持ち、病気の事は皆に内緒という約束をした桜良は「僕」と同じ図書委員に立候補し、一緒の時間を過ごそうとします。そして「僕」に対してだけは「死ぬまで・・」など"死ぬ"と言う言葉をことある毎に使います。

社交的でクラスの人気者の桜良が暗くて協調性がない「僕」と仲良くしようとする姿にクラスメイトは怪訝な様子を見せますが、その理由を二人で過ごす時間の中で次のように説明していました。

「お医者さんはいつも真実だけしか教えてくれない」

「家族は私の発言一つ一つに過剰に反応して日常を取り繕うのに必死になってる」

「恭子や他の子たちもきっと知ったら同じようによそよそしくなる」

「だけど君だけは真実を知りながら私と日常をやってくれる」

「だから君と遊ぶのが楽しいの」

福岡へ二人きりで旅行に行く際、苗字の漢字確認や下の名前を聞くシーンがあるので、冒頭の病院での出会いと病気を知られたことが、「僕」を知り仲良くなるきっかけのように見えるのですが・・

よくよく考えれば同じクラスであり、桜良のような子が興味を持った男子の名前を知らないわけはありません。そして一緒に過ごす時間の中で親に内緒で福岡旅行を決行し自宅に迎え入れたりするのだから、単に仲良しの「友達」であるはずもなし。付かず離れずでいようとするものの「彼女」という言葉を使って自分の位置づけや存在を意識させようとする言葉の数々はそれを象徴するものだと思います。

やりたいことの半分が終えた段階で突如入院した時は、やはり「四月は君の嘘」のように病気で亡くなる結末なのだろうと思いました。恭子たちには盲腸の手術と伝え、「僕」には検査数値の結果が悪く両親が心配して入院させたと話すわけですが、きっと隠している部分があるのだろうと・・実際「僕」自体もそう思っていたわけですが、その心配は杞憂でした。

そんな中、退院し「僕」との待ち合わせ場所であるカフェ「SPRING」に向かっていた桜良は通り魔に刺され亡くなってしまいます。物語の中で何度も通り魔事件が頻発していることは描かれていましたが、まさか桜良がその被害者となり死ぬことになるなんて・・花火を見る時に言葉にした「死ぬときはちゃんと言うから」がここで生きたわけです。

残された「共病文庫」には「僕」が必要としてくれたことが嬉しいとともに恋してると気付き死ぬのが怖くなった・・そんな心の動きが垣間見える言葉が綴られていました。

病院で"真実か挑戦"をやろうとしたとき「僕」に聞こうとしたのは「どうして君は私の名前を呼ばないの?」でした。その理由は「君は私を君の中の誰かにすることが怖かったんじゃない?」と聞いたとおり、いずれ失うとわかっている自分を恋人や友達にするのが怖かったからと推測していたようです。
桜良も同じ想いを持っていたからこそ理解し代弁できたと想像するのは難くない事ですが、その後「僕」をすごいと評価し、その理由を「私の魅力は私の周りに誰かがいないと成立しない」が「君は人との関りじゃなくて自分自身を見つめて魅力を作り出してた」と語っていました。

恐らくそれはクラスメイトの誰も気づけない、桜良自身が余命あとわずかとわかっていたからこそ気付けた部分なのでしょう。日記に綴っていた次の言葉は桜良がもしこんな最期を遂げなかったら・・死ぬ間際に言いたかった「告白」だったのかもしれません。

「友達とか恋人とかそういう関りを必要としない君が他の誰でもない私を選んでくれた」

「17年私は君に必要とされるのを待っていたのかもしれない」

「桜が春を待っているみたいに」

桜良の家にお参りに伺った日、家を後にする際に「下の名前は?」と母に問われ、ここでやっと「僕」の名前は「春樹」だと明かされました。福岡に向かう新幹線の中での名前を聞く会話へと繋がり、博多駅前広場から横断歩道を渡った銀行前で「私は君と出会うために選択して生きてきたんだ」という名言があったこともわかりました。

自分と正反対の春樹だからこそ惹かれたのは間違いないものの、そこには余命少ないからこそ彼の魅力を感じ取れた部分があったと思います。ただそんな春樹に選ばれ、大切に思われ、必要とされることで自分の生まれてきた意義を感じ取れた・・まさに運命の人・・

もし通り魔に刺されなかったとして何か変わったのか?と考えてみましたが、特に何かが変わるようには思えませんでした。志半ばなので双方に無念さが残る展開ではありましたが、だからこそ「共病文庫」の存在とそこに記された言葉が生きる形となったように感じます。

恭子のことが気がかりだったこともあってか、春樹にも「仲良くして欲しい」とよく言っていましたが、結果的に春樹に丸投げする形になりました。このことは心残りでもあったでしょうが、でも桜良の死後、彼女が残した「生きるというのは誰かと心を通わせること」「自分一人だけじゃ自分がいるってわからない」という言葉を胸に春樹は一歩踏み出し、恭子が最初の友達になったと考えると桜良の思い描いた展開になったとも言えますね。

終わりに・・「共病文庫」の最後に記され、タイトルにもなっている「君の膵臓をたべたい」という言葉の意味・・図書室での「昔の人は肝臓が悪かったら肝臓を食べて胃が悪かったら胃を食べてた」の他、焼肉屋では「牛の内臓を食べるもの治療の一貫?」「人に食べてもらうと魂がその人の中で生き続ける」などの言い伝えが出てきましたが、実は「君の爪の垢でも煎じて飲みたい」と同義語・・「君のようになりたい」という思いから春樹は”褒める言葉”としてメールしたのですが、桜良も二人の関係をありふれた言葉で表現したくないからと図書室でも交わしたこの言葉をチョイス。春樹への想いと願いをうまく表現した桜良らしい返答でした。

見直すたびに新たな意味合いを発見ができるのも魅力です。まだ見たことない方はぜひ一度見ていただき、作中に散りばめられた桜良の名言をご堪能ください!!